「一つの山の材木だけで家を造る」の話

「昔は皆こうして家をこしらえたもんだ」このような言葉が還暦を迎えた棟梁の口から聞かれるようになってしまった今日この頃ですが、「今でも昔ながらの家造りが出来るかもしれない」と莫大な不安をぶらさげてあちこち歩き出したのが、おととしの今ごろだったと記憶しています。

地方の山や製材所に出向き、色々な人と接して去年たどり着いたのが、ある北関東の山です。そこの山は京都の北山に匹敵するくらい山主の管理が行き届いておりました。

以前から取引のある、地元製材所社長の紹介で山主と交渉する事が出来、そこの山の杉、檜を入手することが出来ました。間伐材なので径や質はまちまちですが、樹齢は60~100年で大半が目の積んでいる良質の丸太でした。

構造材を取るのが目的だったので柱にする物、梁にする物、に選別し製材が始まったのですが梁材のほとんどが無地で取れることが分かり当然その側板も無地であることから計画的に造作材も取ることになりました。

柱材に関してもその側で端柄材をくまなく取るように心がけ、丸太の歩止りを少しでも上げようと考えました。この頃から一軒の家に使用する木材をこの山の材だけで賄うことが出来ないものだろうかと考え始めました。実行するにあたり以下に掲げる様な問題も発生しました。

木材の物流の問題

通常だと市場、材木商を通して購入する物だが山主と直接決済で中間マージンが無いことから、
最終単価は押える事が出来るが、小規模ながらも物流を破壊し小売業者を殺すことになりかねない。

山の問題

冷えきっている材木市場の中でも林業家の方々は先祖代々の山の木を手入れして間伐をしていかねばならない運命にある。良質の丸太は市場でそこそこの値で取引されるが、それ以外の売れない丸太は元落ちで持って帰ってこなくてはならないので安値でも売ってしまう。

だから枝打ち、伐倒、山出し、に人を雇う余裕が無い故に全ての工程を一人でこなしているのが現状で、したがって一回の伐倒で出せる丸太は30~40立米と少なく大きな需要に耐えられない。

製材の問題

一ヶ所の製材所で全て製材するのが望ましいが、規模や機械の問題もあり、複数の製材所で各製材所の得手不得手を考慮しながら分担して製材している。普段仕事の甘い製材所もあり、そうする事で微少ではあるがその地域の活性にもつながると考える。

ある程度各製材所に任せて製材するが、肝心な所は自分の目で確かめに行く。丸太の歩止りを上げることが最終単価に一番左右するので、製材は建てる家の木拾い表を見ながら、造作材は仕上げしろを計算し、特に梁材に関しては乾燥時の狂いも考慮して行わなければならない。

木の乾燥の問題

使う側で一番気になるのが含水率の問題です。

伐倒から2~3ヶ月の葉枯らしの後、山出しして製材所に搬入される。その時点で含水率は150%~200%です。

製材をした後、天然乾燥で含水率が15%以下まで下がるのに、板材(厚45mm以下)で約1ヶ月、梁材(巾135mm)で約4~5ヶ月かかります。

杉材に関しましては、個体差もありますが、特に赤身の部分の水抜けが遅く、しらたの部分は赤身の半分以下の時間で乾燥します。伐倒から墨付けをするまで早くても7ヶ月はかかるので、建築計画があった時点で製材しなければならないことになる。設計者や工務店にとっては、大変困難なことである。

最近では人工乾燥の木材が主流になっていますが、某社の米松Dビーム等を見ると、木肌に脂分が無く肌触りも乾燥した感じであまり気持ちの良いものではない。見えない部分に使用するのであればかまいませんが、化粧梁には好んで使用したいとは思いません。杉の梁は人口乾燥をかけると割れが入ってしまい、脂気もなくなります。

今回、丸太の勲煙乾燥を実験的に取り入れてみましたが、含水率の降下がとても早く、狂いもほとんど生じなかったのですが、脂気もなく、雨にさらされるとかびが生える個体も見受けられました。

様々な乾燥釜をくぐってきた木材は、本来木の持つ自己殺菌力や風味をかもしだす脂分等が水分と一緒に抜け出てしまったような気がしてなりません。また乾燥にかかるコストも考慮すると、天然乾燥が最も良いということになります。天然乾燥材の規格のサイズを工務店単位で、ある程度在庫することは可能ですが、極端に長い物、巾広の梁等の在庫は、非常に困難だと思います。

木と人の魂がこもった家づくりを目指す

問題点ばかり挙げましたが、前述のような問題点を出来る限り解決し一つの山の木だけで出来上がった家は、部分的な色変わりや部分的な劣化が無く、家全体が一定のリズムで前向きな経年変化をして行くはずです。またその木が生えていた山の香りや色をそのまま家の内外に映し出してくれます。山主を始めとして、そのプロセスに関わった全ての人たちの魂が込められた、住まい手にとってとても気持ちの良い家になることでしょう。

記 菊池祐司